赤川 和紀さん / 芦名 勇舗さんとの対話


—まずはじめに、赤川さんと芦名さんのご関係を教えてください。

芦名さん 赤川さんはプルデンシャル時代の2ヶ月先輩です。

赤川さん 2011年9月に入社して、芦名が11月だから本当に直下でしょ。

芦名さん そう。だから計算すると僕が先輩です。

赤川さん どう計算したらそうなるの。(笑)

芦名さん あ、どの方向からも先輩にはならないですかね。(笑)

赤川さん どの方向からもというか、絶対的な真理だから。(笑)

芦名さん あっなるほど。藤沢さん、そうらしいです。(笑)

ーなんだか複雑ですね。

赤川さん 複雑なのかな。(笑)

芦名さん いや、すごいシンプルですよ。

—(笑)シンプルですよね。思わず僕も掛け合いに乗ってしまいました。赤川さんは芦名さんにとってプルデンシャル時代の先輩だったと。話を戻すと、お互いの印象はどういう感じだったのでしょうか。

芦名さん えーと、僕は「濡れた子犬」ですかね。

—芦名さんが思った赤川さんの印象は「濡れた子犬」なんですね。(笑)それは何故でしょうか。

赤川さん 濡れた子犬…。(笑)

芦名さん 僕が初めて入社したタイミングが11月だったんですが、9月入社の赤川さんは1ヶ月研修して10月が初月契約月でした。そこで、赤川さんは初月契約のギネスとったんです。

プルデンシャルの歴史上。

ただ、それに疲れすぎてガリガリにやせ細っていて、ジェルもそのままペターーーー!って頭に乗ってけてるくらいの風貌で。本当にその姿は「濡れた子犬」でした。

赤川さん いや、本当にその時期が一番辛くて。俺の中で。

芦名さん その時、本当に覇気も何もなくて。こいつが本当にトップ営業マンかと。

赤川さん すごく大変で、疲れすぎて声も半分くらいしか出なくて。体重もすごい減ったし。

芦名さん あの時、体重80kgくらい減ってましたよね。

赤川さん いや、80kg減ったら俺、もう何も残らないから。それはもう存在がないから。(笑)

芦名さん (笑)

ー今までのお二人の掛け合いを見ていると、気持ち良いというか先輩・後輩を超えた関係に見えるのですが、その要因は何でしょうか。それこそ、芦名さんからすれば覇気のない「濡れた子犬」だったと思いますが。

芦名さん それは彼がすごく素直だからだと思います。僕はアメフトもやってきたし、いろんな先輩を見てきました。先輩と後輩の関係を強調する方もいますし。でも彼はすごく後輩の意見を聞くんですよ。

—それは大きな要素ですね。どう意見を聞くんですか。

芦名さん 僕、こういう感じなんで。言いたいこと言うので、そしたら赤川さんは「うん、そうだね。そうしたらどうしよっか。」と言ってくれるんです。

—赤川さんの中で心がけることはあるんでしょうか。

赤川さん うーん。心がけるというより、もともと前職で航空会社の整備士をしてたから営業を全くやったことないし。だから何もわからないじゃん。吸収できるもの吸収しないとまずいと思って。そこで、芦名とかすごい売ってたから。真似できるものは真似しようとしてただけ。そこに変なプライドはいらないじゃない。

ーかっこいいですね。芦名さんのインタビューと記事を見て、プロフェッショナルを真似ることが大事、中途半端な真似ることは意味がないとおっしゃってたことを思い出しまして。赤川さんが原点で真似ていたんでしょうか。

赤川さん 真似ることを教えたっていうより、先輩・後輩の関係じゃなくて同志に近いかな。

—同志ですか。

芦名さん お互い同じ目標に向かってたので。ライバル関係ですけど、その目標を達成するためにはどうプレーしたら良いとか話し合ったりして。

—具体的な目標ってそれぞれ何だったんでしょうか。

赤川さん 芦名はあれだよね。個人保険営業NO.1だったよね。

芦名さん そうです。その時は。

赤川さん 俺は、目標の倍の数字を達成することかな。

—なるほど。それぞれ今挙げて頂いた定量的な目標があったと思いますが、定性的な目標はありましたでしょうか。

芦名さん それは男前になることです。すごく素直で、強くて、お金もあって、影響力も大きくて。電通にいた時に、それは叶えられないなって思ったんです。

もっと男前になれる環境ないかなって思ったタイミングでプルデンシャルと出会ったんです。自信に満ち溢れていて動物的に強そうな先輩がたくさんいたので、じゃあこの会社に入ったら、この先輩たちをどう倒すかって勝手に闘争心湧いてくるので。正直、保険も営業もやってなかったので、このチームに入ったら強くなるって思ったから入っただけです。

—直感もあると思いますが、直感はどう鍛えられると思いますか。

芦名さん それは経験ですね。人それぞれ意思決定する時に過去からの積み上げ統計で、この人はこういう人だ、この人はこういう人だと何となくわかるじゃないですか。自分が感覚として合ったところにいっただけです。

—なるほど。赤川さんはいかがでしょうか。

赤川さん 俺は成長したかったからだね。新卒で大手航空会社に入社した時にそう思って。違う景色を見たかった。

—景色ですか。確かに航空会社は高いところから見れますもんね。

赤川さん それは標高的な意味かな。(笑)まぁ、標高的には高いから、精神的にね。

ー変な空気にして、本当にゴメンなさい。(笑)

赤川さん 本当に反省して。(笑)

芦名さん でも珍しいですよね。24歳で会社やめるって。

赤川さん 真面目なのになぁ。

芦名さん (笑)

ー(笑)こういうお二人の掛け合いは、漫才のようにテンポが気持ち良いのですが、これって。

芦名さん 一言で言うと信頼ですよ。仮に一人でボケて、スルーされたらただの変態じゃないですか。

赤川さん ただの変態だね。俺もボケたりツッコんでも、芦名が乗ってくれないとただの変な人になっちゃうしね。

芦名さん だから信頼関係がないと、普通は怖くてできないですよ。

ー仮にお二人が漫才コンビだとしたら、どっちがボケでどっちがツッコミなんですか。

芦名さん 僕がボケですね。

ーお二人は芸人を目指しているんでしたっけ。(笑)

芦名さん いえ、目指してないですよ。(笑)

赤川さん 弟は芸人だけどね。

芦名さん 吉本所属です。

ーそうなんですか。

芦名さん ただうるさいだけで、くそつまんないです。

—くそつまんないんですか。それは芸風やネタがってことでしょうか。

芦名さん いえ、普通にうるさいだけなんです。でかい声を出せば良いんだという感じで。営業に例えるなら、うざい営業っているじゃないですか。

あれってうざく営業してるわけじゃなくて、結果として相手にとってうざいと思われてしまってるからだと思うんですよね。それと同じことです。

赤川さん 長身でシュッとしたイケメンなのにね。

ー僕は色々な方にインタビューしてきて、アイデンティティを深堀りする上でご家族の原体験を質問しているのですがよろしいでしょうか。

例えば、僕のアイデンティティはフィリピンと日本のハーフで。シンプルに開発途上国と、先進国の両面を見て育ったんですね。

だから、色んな価値観の人と共感できると思っているんです。そう言ったご家族の原体験を深堀りさせていただければ。

芦名さん 原体験は無数にありますけどね。まず高校の時に、両親が亡くなってるんです。自分で決めて、誰かから僕にこうしなさいって言われないので。自分の行動に責任をとって、自分の失敗を受け入れていかなければいけない。

—それはどう乗り越えていったんでしょうか。

芦名さん 乗り越えたも何も、壁だと思ってない。多くの人は解釈のハードルだけ高いんですよ。周りは、親が亡くなって可哀想だと。事実は、親が亡くなった。それだけなんですよね。じゃあそこでどうするか。まずご飯を作って食べなきゃいけないんですよ。多くの人が悩む原因は、現実を見れてないだけですよね。現実を見れば、その原因に対して対処することができる。

―かっこいいですね。突然の質問で恐縮ですが、お二人にとって生きるとは何ですか?

芦名さん これ明確にあるんですが、生きるとは死ぬこと。

赤川さん 生きるって死ぬこと?じゃあ、今のお前は死んでるの?(笑)概念がすごいな。

芦名さん (笑)

―(笑)表裏一体は絶対にありますから。成功と失敗とかそうですし。生と死もそういうことでしょうか。

芦名さん 僕が言っているのは生きるとは、「死」に向かっているということ。

赤川さん まぁ、人はいつ死ぬかわからないからね。俺も原体験あるかな。アフリカ行ったことが大きいかな。6割エイズだから、死が身近にあって。だから全力で今生きてるかな。日本は恵まれているから、中々感じられないよね。

あとは、学生の時に、藤沢も一緒に出たMOTHERっていう特攻隊の舞台も考えるものあったよな。20歳ぐらいで、特攻していったわけでしょ。鹿児島の知覧に行った時、母親にあてた手紙を読んだわけ。そしたら「おかぁさん、おかぁさん、おかぁさん」って書いてあって。しかも、人生は長さじゃなくて濃さだって言ってるのよ、20歳そこそこの若者が。ヤベーなって、覚悟が。俺ら、経験させてもらって。すごい勉強になったよな。

―はい。すごく感じるものがありました。

赤川さん だから俺、今、死んだとしても後悔ないもん。アルコール並みにすぐ浄化すると思う。ふわっとさ。

芦名さん ってことは、あなたはアルコールなんですか?(笑)

赤川さん いや、例えで言っているだけで。(笑)

―赤川さんはアルコールっと。(笑)

芦名さん そこは絶対、書いといてください(笑)。

―太文字にしておきます。(笑)芦名さんは死生観についての原体験はありますか。

芦名さん 親の死と、あとはカリフォルニアに行ったことかな。ツンツンだったから髪が。

赤川さん 髪!?(笑)でも帰ってきて丸くなったよね、体型も。芦名がツンツンだったのは、アメフトやってたからね。

芦名さん 僕は学生の時、慶應でアメフトやってました。だからエリートで競争社会なんですよ。いかに隣の人を蹴落とすか。だから一番を目指すことも、高みを目指すのも当たり前だったんです。

でもカリフォルニアに行った時、感じたんです。一番を目指していない、カリフォルニアの人がみんな幸せそうだったんですよ。その自分の感覚に驚いたんですよね。ぼーっとして、本当に何もしないでも幸せそうな姿を見て、これが一つの原体験ですね。

―へぇー。カリフォルニア良いですね。次の質問は良いでしょうか。お二人はどういう人が心地いいって思いますか?

赤川さん 裏表がない人。コミュニケーションが気持ち良い人がいいよね。

芦名さん うん、気持ちいいってすげー大事なんですよ。あとは見栄がない人。

―フルオープンが一番ですよね。

赤川さん うん。わかりやすい人。フルオープンって自信がある人しかできないからね。

― フルオープン。全裸が大事ってことですね。

赤川さん 全裸!? いや全裸じゃないでしょ。(笑)

芦名さん 精神的な全裸。(笑)

赤川さん でも芦名とかってそうかもね。そんなに裏表ないよね。俺とかってプルデンシャルに入った頃は、やっぱり見栄はってたかな。

―芦名さんは見栄をはっていた頃ってありましたか。

芦名さん もちろんありましたよ。スポーツをやってきた人だとわかりやすいけど、背伸びして理想に近づけていくみたいな感じ。今はないですけどね。今はなるべく等身大でいたいと思います。

―等身大って大事ですよね。僕もできるだけ等身大でいたいと思います。本日は貴重なお時間をありがとうございました!

赤川さん いやいや楽しかったよ、ありがとう!

芦名さん こちらこそ。

赤川和紀(Kazuki Akagawa)1987年生まれ。慶應義塾大学理工学部卒業後、大手航空会社に入社。2年間勤務した後、成長の場を求めてプルデンシャル生命保険に転職。入社1年目で、全国上位約100名に。以降、エースプレイヤーとして高い成績をあげ続けており、現在副部長として活躍中である。

芦名勇舗(Yusuke Ashina)1988年生まれ。身長186センチ、体重100キロの経営者。 2004年、慶應義塾高校入学後、アメリカンフットボール部に所属。16歳で全国制覇を果たし、17歳でU-19日本代表選手に当時最年少で選出され、18歳では主将を務めた。慶應義塾大学4年生の時には、約150人の部員をまとめる主将に選出。 大学卒業後、電通に入社。コピーライターとして活躍。代表作に「常識をくつがえせ。」(コカ・コーラゼロ×『ミッション・インポッシブル』)、「夏一番の、夏が来た。」(東京ディズニーランド)など多数。 2012年、23歳の時にプルデンシャル生命に営業として転職。営業未経験ながら、約3500人の営業マンの中で全国2位に輝き、月収2400万円を稼ぐ。25歳の時には史上最年少で営業所長に抜擢。営業所長としても全国2位に輝いた。 2015年、同社を退職。俳優を志し単身渡米。そこで演劇・映画界の巨匠、ロバート・アラン・アッカーマン氏に「You have a talent.君は持ってる。)」と言わしめ、ハリウッドの舞台劇『BLOOD』で俳優デビューを果たした。 2017年、帰国し、芦名表参道(株)を設立。「世界から不幸をなくす」という考えのもと、事業領域は決めず、事業企画やビジネスコンサルティングを行っている。また、自身のツイッター(@ASHINA_ashina)をはじめとするSNSは、若手ビジネスマンや学生から絶大な人気を集め、「働き方」「生き方」「営業術」のバイブルとなっている。

著書に「影響力の鍛え方

2018年には、パーソナルジム「BEATS」を代官山と麻布十番にオープン。


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